『ひろ★ろん』と言う人間について赤裸々に語る。

コラム








どうも、ひろ★ろん(@sxm_inc_hiro)です。

最近知り合った方、前から知ってる方も『ひろろんさんって何者なの?』って聞かれる事がしばしばあります。

いつもビールばっかり飲んでるんじゃないの?って思われがちだけど(間違っていない)

この記事で僕の自己紹介&赤裸々過去話&どんな人間かを知って頂けたらうれしいです。

 

 

ひろ★ろん、大地に立つ

1986年10月26日

米どころ、新潟県三条市に生まれる。

本名は『松谷 嘉浩(まつたに よしひろ)』。名前の漢字が難しすぎて小学生高学年までちゃんと書けていなかった。

 

小さい頃から絵を描いたり、ガンプラやモノ作りをするのが大好きで、その頃からインドア派だったのかも知れない。

姉がピアノをやっていたので家にはエレクトーンがあったが、いたずらで触る程度だった。

 

12歳の頃ギターと出会う

よく遊んでいた同級生の父が昔バンドをやっていたらしく、遊びに行くとドラム、ベース、ギターなど一式置いてあり、少しづつ楽器に興味を持ち始める。

丁度その頃ヴィジュアル系にハマっており、「やっぱギタリストが一番かっこいいわ」というフワっとした理由からギターを始める。

最初にコピーしたのはラルクアンシエル。

 

人生の分かれ道

工業高校を3ヶ月で中退。理由は『女子が居なかったから。』

じゃあなんで入ったの!?という突っ込みを周りからされるが自分でも不明。そもそも工業系のことに興味が無かった…

翌年、週4制の通信高校へ入学。その頃からオリジナルバンドを何個かやりだす。

 

そして高校3年生の進路決めでずっと好きだった絵の勉強にも興味を持つ。実は学生の頃、絵で何回か入賞した事もありそういう経験から多少自信もあった。

『絵か音楽か』でひたすら悩んだ末、県内の音楽の専門学校へ行くことにする。

この頃から「自分はもう音楽で食っていくしかない」と考え始める。

 

専門中退

専門1年行き中退。理由はいろいろあったが上京したいと言う理由が強かった。

今考えたらそれで良かったのかは分からないが、一度「こうだ!」と考えると自分でもコントロールできなくなるタイプだった。

 

しかし1年間は上京せず、スマホ基盤のプレス工場で朝から晩まで働いた。

なかなか過酷だった思い出。

 

バンド結成、上京

仲間の紹介でハーフの女性ボーカルミクスチャーバンドに加入。

一番左のチャラそうな金髪が僕(当時20歳くらい)である。

 

バンドごとそのまま上京し、3年ほど精力的に活動し、恩師のお陰でSONY MUSICのとあるレーベルからデビューの話が出る。

事務所に行った帰り道に「もう俺ら武道館とかこのままやっちゃうんじゃね?」って調子に乗っていたのを覚えている。

 

しかし人生そんな上手くは行かず、話の段階で破棄。そのままモチベーションが一気に下がり脱退。バンドも解散。

 

人生最後のバンド、V系(女形)

どれが僕かお分かりだろうか?

そう、一番左のオカマちゃんである。(当時24、5歳くらい?)

何を血迷ったか女形(女子キャラ)になる。メンバーの個性やキャラ分け、メイクしたら意外と可愛いのでは…。みたいないろんな勘違いから生まれた産物である。

 

この頃から作曲ツールをMTRからDTMに移し、バンドの作曲、ライブSE、ミックスなどを任される。

 

しかしメンバートラブルなどがありわずか10ヶ月で解散。

この時に「もうバンドやりたくない…」という考えに変わってしまう。

 

25歳 ボカロ、同人音楽との出会い

 

もうバンドなんてやりたくない状態の抜け殻だったその頃、ニコニコ動画が黄金期を迎える。

そこで初めてボカロ、ネットミュージック、同人音楽に出会う。

 

どちらかと言うと音楽というよりも製作スタイルが新鮮すぎて衝撃的だった。

『バンドはメンバーが数名居てはじめて音楽を奏でられる、けどボカロは歌も演奏も全部一人でできる!』

こんなに自由な音楽形態があってもいいんだ…。そこから動画知識をつけ、ボカロ楽曲をアップし、同人即売会などでもCD販売を始める。

 

20代後半、第二の分かれ道

すごくベタな話だが、当時同棲していた彼女に『私と音楽どっちが大事なの!?』というベタなフレーズをぶつけられる。

確かにもう結婚時期かなーなんて考えたりもしていたし、その頃は音楽収入なんてほぼゼロ。

「これでいいのか?もう30だけどこのまま結婚してよくわからん会社に勤めて人生楽しいか?」

 

悩んだ挙句、「まだ音楽をやりたい」という気持ちが強く、その彼女とは別れもう一度一人で音楽生活のスタートを切る。

 

30代、音楽ブログスタート

やっとこの頃「どうやって音楽で稼げるのか」マネタイズを考える。

マネージメントや音楽収入の本を漁ったり、ネット情報を細かくチェックしたりしていた。

 

そこで辿り着いたのが音楽ブログ。『DTM OZISAN』である。

自分の情報、知識、考えなどを発信でき、収入も得られる。まさに最高なツール。

ブログから知り合った方も多く、新しい一歩を踏み出す。

 

現在、フリーランスで活動

週5バイトで働かなければ生活できなかったのだが、少しづつ音楽の仕事が増え始める。
バイトの割合も減り、フリーランスとして活動スタート。

(追記:2020年、アルバイトを辞め無事完全にフリーランスとして生きることにしました。)

 

過去のバンド活動、ブログ、DTM知識、などなど今まですべての経験が集約された瞬間だったのかも。大げさだけど。

現在はアイドル、バンドの楽曲製作、ミックスマスタリングのお手伝いメインで生活できるようになる。

 

挫折や失敗、かなり遠回りしつつも本質的な部分は絶対曲げたくなかった。そんな頑固な性格が今に生きたのかもしれない。

本当に音楽を諦めなくて良かった。

 

さいごに

自分のことを話したり紹介するのがすごーく苦手だけど、『ひろ★ろん』はこういう人間でこういう経歴あるんだよーと伝われば嬉しいです。

あとは一緒に飲めばわかる。

 

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